よみがえる第一次大極殿院|平城跡歴史公園

大極門(南門) 復原の経緯

発掘調査

大極門の主要な部分の発掘調査は、奈良文化財研究所が昭和48年(1973)、平成17年(2005)、平成29年(2017)に行いました。
柱の位置は確認できませんでしたが、建物下の基壇(基礎)の地盤改良と、基壇の側面を覆う石材(基壇外装)や階段の痕跡、屋根から落ちる雨水を受ける溝(雨落溝)を検出しました。これらの手がかりから、基壇と階段の大きさが判明しました。
北面の階段は改修の痕跡が多く、当初の大きさがつかめませんでしたが、南面の階段で当初の大きさがわかり、復原研究の大きな手がかりとなりました。2017年(平成29)の調査は、水路があったため、それまで発掘できなかった部分について、大極門の復原工事に先立って実施したものです。

発掘調査
発掘調査
ほぼ基壇全体を発見した昭和48年の発掘調査
ほぼ基壇全体を発見した昭和48年の発掘調査

柱の位置の復原

発掘調査で得られた大極門についての手がかりは、基壇と階段の大きさ、および雨落溝でした。大極門の基壇は、間口に対して奥行の割合が比較的大きいのが特長です。
これらの情報をもとに、文献資料や絵画資料、発掘類例、現存する古建築の分析等を加え、屋根の形や深さ(軒の出)、柱上の組物などの建造物の上部構造を一体的に検証し、柱の位置を復原しました。

復原原案 初重平面図
復原原案 初重平面図

門のかたち

文献史料から興福寺南大門は奈良時代前半から、屋根が上下二層にかかる「二重門」だった可能性が高く、また古代の二重門はすべて桁行5間以上であったことが判明しています。さらに絵画資料では、二重門のほとんどが入母屋造に描かれています。その他の事例研究の結果、時代性、規模、伽藍上の位置などを鑑みて、大極門は二重門・入母屋造で復原されました。

復原原案 南立面図
復原原案 南立面図
復原原案 東立面図
復原原案 東立面図